◎はじめに

 「TVゲーム」と呼ばれるものが人々の生活の中に溶け込み始め、1つの文化を築き始めた1994年。それまで発売された家庭用TVゲーム機と比較しても圧倒的な表現力と処理速度を誇るハードが発売され、それら「次世代機」や「新世代機」とも呼ばれたハードの中に「セガサターン」の姿はありました。
 セガの家庭用TVゲーム機として6番目であるそのハードは、開発コード「SATURN」から「セガサターン」と名づけられ、コンシューマ市場(家庭用)では劣勢を強いられていたセガの、「今度こそシェアを奪ってやる!」という意気込みを感じる事の出来たハードでした。アーケード市場(所謂「ゲームセンター」)での大ヒット作となった「バーチャファイター」をキラーソフトとして投入するという事は、正にその証と言えるでしょう。
 リリース直後はソフトの供給が思う様に行かず伸び悩みましたが、発売から1年が経過する頃にビッグタイトルのリリースが続き、期待を裏切らない出来にユーザは熱狂し、一時は誰もが挙ってセガサターンを求めて販売店に駆け込むという現象が起き、セガの長年の夢が正に現実のものになると感じた方は多かったでしょう。しかし、現実はそう簡単に事を運ばせてはくれませんでした。
 様々な要因からセガサターンの市場規模は縮小を始め、最終的には志半ばで消え行く運命となってしまいました。発売から4年。そのサイクルは決して長いものではありませんが、セガサターンが残してくれたものは大きなものだったと思います。ここには、1ユーザとして「セガサターン(とそのソフト)から得たもの、感じたこと」を軸として、その歩んだ道を検証して行きたいと思います。

セガサターンロゴ


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