ここには私が尊敬する人/応援する人との出会い(きっかけ)と、応援する理由を綴ってあります。一応、念の為に断っておきますが、ここに載せている方々は私自身の気持ちとして中途半端な応援はしていません。それぞれ同等の力を注いでいるつもりです。それだけのものをこの方々はお持ちであると思っております。ここに目を通して、興味を持って下さるととっても嬉しいです(笑)。


近影・御尊名 応援開始 応援する様になったきっかけ
宮路洋一氏近影
宮路洋一氏
宮路 武氏近影
宮路 武氏
1985年秋頃  そもそも私が学生時代にパソコンを購入しなければ、この出会いはありませんでした。当時、学校がPC9801VMを導入し、課題をやる場合の端末開放が限られている為に、皆挙って同じかそれ以上のマシンを購入しましたが、私は「音楽がやりたい、カラープリンタが付けたい」という願望を課題なんかよりも優先させ、PC8801mkIIMRを購入しました。「これなら5"2HDだし、400ラインもモノクロとはいえ使えるし」ということで(笑)。
 「課題の為」という大義名分はあったものの、年がら年中課題がある訳も無く、やはり趣味の一環として使用する事が多くなりました。そこでパソコンソフト、所謂ゲームをやることになります。その時出会ったのが「テグザー」というアクションゲームでした。綺麗なグラフィック、格好良いサウンド、歯応えのあるアクション、どれを取っても当時全盛だったファミコンゲームを凌駕しており、「こ、これだぁっっ!!」と、一発で虜になってしまいました。
 「テグザー」の強烈な印象と同時に初めて聞く「ゲームアーツ」という会社名。「どんな人達が作ったんだろう?」という興味は尽きることがありませんでしたが、その後直ぐに分かることになります。月刊ログイン1985年10月号の特集記事「プログラムオリンピック」にその勇姿が(笑)。そこに居たのが宮路洋一氏その人でした。「お金が無い時は、1つののり弁を3等分して朝昼版に食べてました」という言葉に胸を打たれ応援することに決めました(爆)。
 その後、「シルフィード」「ゼリアード」「ヴェイグス」「ファイヤーホーク」等、数々の名作を生み出し、時代はPC88からコンシューマ機へと移ります。メガドライブでも「アリシアドラグーン」、メガCDでも「ルナ」「シルフィード」「ゆみみみっくす」等を開発し、その技術力の高さと職人としての拘りを肌で感じる妥協の無い作りには、本当に感動します。セガサターンでも「ガングリフォン」「だいなあいらん」「グランディア」等を開発し、どの作品も忘れられない感動を与えてくれました。
 そのPC88時代から常に貪欲に「ゲームの面白さとは何か」を追求し、会社が儲かることよりも、業界の未来の為に粉骨砕身の仕事をしている「ゲームアーツ」。この会社を取り纏めている宮路洋一氏と、氏の実弟であり、技術部門を統括している宮路武氏。この2人が居る限り、「ゲームアーツ」、延いてはゲーム業界に未来はあると信じられます。分野が違っても、私自身彼らの様な職人になりたいと思っております。
(1999.02.01記述)
 ガンホーの資本を受け、後に完全子会社化され、とうとう宮路洋一社長までも退任という形となり、私の好きであったゲームアーツは完全に消滅したと言って良い状況になってしまいました。2000年に入ってからジー・モードを立ち上げてそちらの代表となった宮路武氏は、今ではモバイルコンテンツの第一人者となってご活躍ではありますが、モバイルゲームに興味のない私としては、そちらのご活躍を肌で感じることが出来ないのは心苦しいです。
 何れにせよ、もうお二人が組んで業界に一石投じるということは無くなってしまったと思うと寂しい限りではありますが、またその闘志と技術力で感銘を受けられる日が来ることを願って応援し続けたいと思います!
(2009.04.01記述)
岩垂徳行氏近影
岩垂徳行氏
1992年夏頃

= 関連記述 =
1999.06.27感想
1999.07.03感想
2000.09.30感想
2001.09.08感想
2002.03.03感想
2002.03.17感想
2002.06.29感想
2003.01.11感想
2005.07.30感想
 ゲームアーツのゲームをプレイしていなければ、この出会いは無かったでしょう。氏の楽曲を初めて耳にしたのは、メガCDの秀作、ゲームアーツ初のRPG「ルナ -THE SILVER STAR-」でした。やはりゲームアーツの手掛けた作品だけあって、発売予定が遅れること遅れること(笑)。その為か、ゲーム発売前にサントラが発売されました。私は作品のイメージを膨らませる目的でそのサントラを購入したのですが、その時初めて「岩垂徳行」という名前を知りました。
 氏の曲は、作品に合っているというのは勿論なのですが、とても温かみがあって親しみやすく、それでいて味わい深いという、非常に印象に残るものです。更には、作品を代表する「テーマ曲」というものが大変素晴らしく、作品全ての魅力がその1曲で語れる、そんな気がするのです。大変気に入った私は、氏の名前を心に留める様になりました。
 代表作として「ルナ -THE SILVER STAR-」「ルナ -ETERNAL BLUE-」「グランディア」などが挙げられますが、何れもゲームアーツの作品であるのは偶然です(笑)。でも、「最高の作品には最高のサウンドを」という気持ちはあるので、この二者が組む事は私にとって最高の信頼を置けるものとなります。先に挙げた3作品は、本当に出会えた事に感謝している作品達です。
 私の中で一番印象に残っている岩垂サウンドと言ったら「ルナ -ETERNAL BLUE-」なのですが、その中でもゲーム発売前に発売されたCD(これは予定通りなんですよ(笑))に収録されている「ETERNAL BLUE序曲」が最高です。この曲が岩垂さんを更に力強く応援しようと思うきっかけになったのは間違いありません。
 1998年2月には岩垂さんと直にお会いする事が出来、こじんまりとしたイベントではありましたが、その人柄の良さを知る事が出来たのはとっても嬉しかったです。そんな岩垂さんだからこそ、心に留まる曲が書けるのだなぁと感じた瞬間でした。これからも沢山の曲を聴かせて下さると思いますが、今まで同様色々なタイプの曲に挑戦し、多くの方に感動を与えて行って欲しいと思っております。
(1999.02.01記述)
 初めてお会いしてから、何度かライブや公演でお会いする機会もあって、覚えて頂けていたことは大変光栄に思います。今では公演後にお話する時間を取って頂けたり、お忙しい中、本当に有り難いことです。今後は、どんな楽曲を聴かせてくださるのでしょうか。楽しみです。
(2002.09.03記述)
小島秀夫氏近影
小島秀夫氏
1988年冬頃  私がPC88でプレイしたアドベンチャーゲームの中で、今でもその名を心に刻んでいる「スナッチャー」。これが、初めて「小島秀夫」という名前を意識するきっかけとなりました。全てはこの「スナッチャー」が始まりでした。
 PC88版のスナッチャーは多くの謎を残したままエンディングを迎え、プレイした誰もがその続編を期待していたことでしょう。しかし、実際にはその続編が作られる事は無く、物語の真相は「SDスナッチャー」(RPG:MSX2専用)で明かされるという、続編を期待していたユーザにとっては少々残念な結果となりました。
 それから月日は流れ、コンシューマ機でもCD-ROMの時代が到来します。その大容量を活かしたソフトが少しずつ出始めた中で、ユーザの希望するソフトの中に「スナッチャー」の姿がありました。誰もが本当の意味での完結を望んでいる、その熱意が叶ったのか「スナッチャー」はCD-ROMの大容量を得て「完全版」として蘇る事になりました。 そして、色々あった(特に、物語の舞台となるソ連の解体)ものの、その「スナッチャー CD-ROMantic」は、その時出来ることを全て詰め込んだと感じられるもので、この時、小島監督の手腕に驚くと共に次回作への期待が高まりました。
 その時既に「小島監督の作品は安心して楽しめる」と信じていた私は、「スナッチャー」に魅入られていたと言えますね(笑)。そんな頃、小島監督の次回作品が発表され、自分の所有機種では出来ない事を知り、途方に暮れていたのも束の間、コンシューマ機への移植が決まり、そのプロモーション映像が公開されます。それを観た時の感動は今でも忘れられません。この時、小島監督への信頼度は揺るぎの無いものに変わり、「一生着いて行く」くらいの気持ちで応援する様になりました。
 実際にその次回作である「ポリスノーツ」をプレイし、「スナッチャー」から格段に進歩したインタラクティブ性と、より深いシナリオ、そして映画的ながらも映画では体験の出来ない一体感に感動し、また小島作品に惚れ込むこととなりました。この後、小島監督の新しい作品への飽くなき挑戦は続いています。満を持して発売された「メタルギア・ソリッド」。そして、その更に先。小島監督はこれからも新しい感動を与えて下さるでしょう。
(1999.02.01記述)
中 裕司氏近影
中 裕司氏
1996年夏頃  中さんと言えば「ソニック」、「ソニック」と言えば中さん。一般的な中さんのイメージは、そのくらいにメガドライブの名作「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」と結び付けられています。ですが、私が中さんを応援するきっかけとなったのは「ソニック」ではありません。勿論、「ソニック」は良いゲームですし、全シリーズきっちり遊ばせて頂いた身ですから、その時から中さんの事は存じ上げていたのですが、私が感銘を受けたのは、中さんがセガサターンで新たに創った世界、「NiGHTS」でした。
 「ソニック」を欲していたセガサターンユーザにとってみれば、「NiGHTS」の発表は残念だったかもしれません。ですが、中さんが何故「ソニック」を作らなかったのか、そして何故「NiGHTS」を作ろうと思ったのかという事について書いてある記事に目を通した時に、私は中さんに共感出来ました。そして、こういう作品世界を構築出来る人って凄いなぁと心底思いました。この時から、「中さんの様なクリエイターに頑張って欲しいな」と思う様になりました。
 「ソニックチーム」という、セガCS開発部隊の精鋭とも言える部隊を率いる中さんですが、中さん御自身もスーパープログラマーであることもあり、色々な面で大変頼れる存在であろうことが伺えます。しかし、実に物静かな方で、インタビューなどでも言葉の節々から中さんの人柄の良さを感じることが出来ます。
 数々の作品をリリースしてきた中さん率いるソニックチームではありますが、全てが名作かと言えばそんなことはないと思います。ですが、作品1つ1つに感じられる熱意や想いは伝わって来ます。私はそういった目に見えないものこそが名作を生む下地になっていると思うので、これからも「ソニックチーム」の活躍には注目して行きたいと思います。「ドリームキャスト」の「ソニックアドベンチャー」で示した「未来基準」を更に昇華させて頂きたいですね。
(1999.02.01記述)
大沢つむぎさん近影
大沢つむぎさん
1998年5月頃

= 関連記述 =
1999.02.14感想
1999.05.03感想
1999.06.26感想
1999.10.09感想
 「マリーのアトリエ」というゲームに興味を持ち、プレイしたのは1998年の正月明けでした。そこで大変気に入った「シア」というキャラクターが居るのですが、「この声って誰が当てているのかなぁ?」という興味からキャストを見てみると、そこには「大沢つむぎ」と書かれていました。これが、初めてつむぎさんのお名前を知った瞬間でした。その後、「マリーのアトリエ」の攻略本に載っていたお写真を拝見して思ったのは「まぁるい人だなぁ」でした(爆)。
 その後、「マリーのアトリエ」の続編の制作が決まるという情報を雑誌で見て、そこにつむぎさんのインタビューが載せられているのを読む機会がありました。その時、非常に確固たる想いを胸に「声優」というお仕事に取り組んでいることを感じ、「こういう人って最近居なくなったなぁ。応援したいな」と思う様になりました。
 それからしばらくして、つむぎさんのサイン会があるというのを偶然知り、勿論行くことに。当日、集合時間30分前に行ったのに、何故か一番乗り(笑)。かなり焦りました。サイン会が始まり驚いたのが、1人1人をパーティションに招き入れ、目の前でサインを書いて下さるというシステムです。こういうのは初めてなので、こちらもドキドキしてしまいました(笑)。実際に書いて頂く時間は自由につむぎさんとお話し出来るのですが、ここで短いながらもつむぎさんの人柄に触れる事が出来、応援しようと思う気持ちを確固たるものにしました。
 その後、つむぎさん御自身がWeb上に開いているページを見つけ、そこから私設ファンクラブの存在を知り、どんどん自分の中で応援する地盤を固めることになって行きます。OFF会参加、合宿参加、色々な交流がある中、つむぎさんもファンとの交流を大切にして下さり、こちらが恐縮してしまうくらいです。でも、集う皆さんも、しっかりとしたけじめを持ってつむぎさんと接しているので、大変楽しい時間を過ごせるという素敵な関係を築けています。
 実際、人柄だけでなく、その声優としての演技力も素晴らしく、「これ、本当に同じ人が演じているの!?」と思うことも少なくありません。こういう根幹がしっかりしているからこそ、ファンとしては応援を続けて行けると思います。これからも色々なお仕事をされて行くと思いますが、目立たなくともきっちりと仕事をこなすつむぎさんの応援を続けて行きます。
(1999.02.01記述)
 諸般の事情により、しばらくお仕事をお休みされていたつむぎさん。役者ではない形で現場復帰されたというお話も聞きましたが、今でも何処かでご活躍なのでしょうか。また何処かでお会いできる機会があれば嬉しいです。今でも応援する気持ちは持ち続けています。
(2002.09.03記述)
 新たに音響監督など、制作側の方のお仕事を始めたつむぎさん。起業してから数年経つ中、色々大変なこともあると思いますが、是非楽しんで素晴らしいものを生み出して欲しいです。何かの折に、また声優さんとして素敵な役を演じて欲しいですね。今も応援し続けています。
(2006.10.08記述)
高橋良輔氏近影
高橋良輔氏
1983年春頃  「機動戦士ガンダム」という作品は、私の世代では誰もが知っている程に有名で、熱狂したであろう作品だと思います。それ以来、友人達と話題になっていたのはいつも「サンライズのロボットアニメ」でした。そんな中で、その当時の年齢では話が難しかった「太陽の牙ダグラム」という作品があります。大変政治的な話の多い作品で、登場するメカもキャラも印象には残っているものの、話が良く分からない。その当時はその程度の理解だった為か、それほど真剣に観てはいませんでした。 ただ、「ガンダム」の監督が「富野由悠季」氏、「ダグラム」の監督が「高橋良輔」氏だということだけは気に留めていました。これが、高橋良輔氏の作品との出会いでした(と言っても、実際には「ゼロテスター」や「サイボーグ009(新)」等、氏の携わった作品とはもっと前に出会っていました。意識したとなると話は別です)。
 その後、幾つものサンライズ作品が発表される中、「装甲騎兵ボトムズ」という、私にとって運命的な作品に出会うことになります。これは、あの高橋良輔氏の作品ということもあって、やはり当時の自分には難しい話と感じるものがありましたが、「ダグラム」と違って惹きつけられる何かがありました。それは、「メカを1つの兵器として描いている」「主人公の存在が謎でありながらも、格好良い」という部分だと思っています。 その他にも「機甲界ガリアン」の世界観、「蒼き流星SPTレイズナー」のドラマ性など、高橋良輔氏の作風が本当に気に入る様になりました。
 数年の月日が流れ、LDプレイヤーを購入することになりました。どうしても欲しい「装甲騎兵ボトムズ」のTVシリーズ全話を収録したLD−BOXは既に廃盤になっており、中古市場に出たタイミングでしか押さえられないものになっている上、プレミアが付いている始末。でもどうしても「もう一度観てみたい、今だからこそ観たら理解出来るはず!」という思いを押さえる事は出来ず、とうとう見付けたそのLD−BOXを、なかなか素敵な価格で購入しました(苦笑)。 それでも全く後悔していないのは、それだけのもの(完成度など)が「装甲騎兵ボトムズ」という作品にあったからに他ならないと思います。今観ても充分に面白いですし、見た目の派手さが無い分、虜になったら抜け出せない魅力を持っていると感じます。それを本当に認識出来たのは、当時の記憶だけではなく、改めて観直す事が出来たからだと思います。
 氏の手掛けた最新作「ガサラキ」では、その血統を受け継いでおり、大変楽しむことが出来ました。これからも、高橋良輔監督の持ち味を生かした作品の登場を楽しみにしております。
(1999.02.01記述)
かかずゆみさん近影
かかずゆみさん
2000年春頃

= 関連記述 =
2000.03.26感想
2000.06.18感想
2000.07.23感想
2000.09.02感想
2000.09.03感想
2000.11.05感想
2000.12.17感想
2001.01.28感想
2001.02.24感想
2001.03.31感想
2001.06.23感想
2001.06.24感想
2001.07.01感想
2001.07.29感想
2001.08.14感想
2001.08.26感想
2001.09.15感想
2001.09.16感想
2001.12.23感想
2002.02.03感想
2002.02.10感想
2002.02.11感想
2002.05.19感想
2002.06.09感想
2002.07.20感想
2002.08.17感想
2002.08.18感想
2002.08.21感想
2002.10.13感想
2002.10.19感想
2002.12.08感想
2003.06.22感想
2003.07.20感想
2004.07.25感想
2004.12.26感想
2006.06.18感想
2007.03.31感想
2007.04.01感想
2008.03.23感想
 出会いは間違いなく「アキハバラ電脳組」という作品です。その中でかかずさんの演じていた「代官山はとこ」というキャラから結び付いたご縁です。しかし、作品は気に入ったものの「はとこ」自体は然程気に入る訳でもなく、劇場公開直後のサイン会も参加はしたものの、かかずさんに対しても何も感じませんでした。それなりの会話は交わしたのですけれど(笑)。そんな私が今の気持ちに至るまでは結構時間が掛かりました。
 劇場版「アキハバラ電脳組 2011年の夏休み」を繰り返し観るうちに、何だか「代官山はとこ」というキャラが気に入り始めました。そして、自分のホームページのコンテンツとして「アキハバラ電脳組」を用意する為にTVシリーズを繰り返し観ているうちに、トータルして「はとこ」が気に入ってしまいました(笑)。その時には既に「かかずゆみ」という人に注目していた様で、ちょっと前の雑誌のスクラップ記事の中から、かかずさん関連が出て来ました(爆)。
 「かかずゆみ」という人を「応援しよう」と思った切っ掛けは、2000年3月26日に行われた「劇場版アキハバラ電脳組 VIDEO/DVD発売記念イベント」でのかかずさんでした。ラジオ番組をやっているだけあって、非常に楽しいトークが展開され、かかずさんの頑張り屋さんな一面を見ることも出来、「このお姉さん、何だか気になるなぁ…」と。一見するとその辺にいる極々普通のお姉さんなのですが、その魅力たるや別物です(笑)。
 こういう見えないところで地道に努力している方を見ると、やはり「応援したい」という気持ちが生まれるのは自然で、その気持ちに正直に従ってみることにして、現在に至ります。「何から何までがむしゃらに追い掛ける」という訳ではありませんが、彼女のチャレンジ精神を見習いつつ、その積み重ねて行く様を見守りながら声援を贈りたいと思います。
(2000.07.04記述)
 応援し始めてからというもの、本当に沢山の回数お会いする機会に恵まれ、いつの間にやら覚えて頂けていた自分に驚きます(「ヴァンドレッド」のもり監督やヒビキ役の吉野さんにも覚えて頂けているのは、流石に焦りましたが)。本当に光栄の極みです。これからも、真面目に精一杯応援して行きたいと思います!
(2002.09.03記述)
 ご結婚、ご出産と続き、更には国民的作品とも言える「ドラえもん」でヒロインでもあるしずかちゃん役に抜擢されるなど、これまでの積み重ねが実った結果であると実感出来るだけにとても嬉しかったです。そんな激動な近年を過ごされていながら、ファンとの距離も変わらずとても気さくに接してくださるのは本当に有り難いことだと思います。かかずさんの活躍に負けない様、私自身も日々を積み重ねて行こうと思います。末永く応援して行きます。
(2006.06.18記述)
能登麻美子さん近影
能登麻美子さん
2003年春頃

= 関連記述 =
2004.07.24感想
2006.02.26感想
2006.05.28感想
2006.08.06感想
2006.12.08感想
2007.05.12感想
2008.02.24感想
2008.08.13感想
2008.09.14感想
2009.03.22感想
2009.04.26感想
2009.05.10感想
2009.06.06感想
2009.09.20感想
 「アイドル伝説えり子」という作品がキッカケで、自分の中で停滞気味だったアニメーション作品の視聴に活気が戻って来た頃。1つの新番組が放映開始となりました。作品名は「成恵の世界」。原作がある事は知りつつ、その原作を全く知らない自分は先入観無しに観始めました。
 それまで特に名前を意識したこともない「能登麻美子」という名前の声優さんが主役の七瀬成恵を演じているのですが、この声が実に印象深いのです。本編もそうでしたが、何より次回予告の「あ〜なたの胸にぃ〜、直撃よ!」がとても印象に残りました(七瀬成恵というキャラクターも気に入りました)。それから、多数の作品で目に(耳に)する様になり(特に「マリア様がみてる」の藤堂志摩子は、とても好きなキャラクターとして不動の位置を築きました)、声優関連雑誌でも良く見かける様になりました。 特に意識していた訳ではないのですが、能登さんの載っている記事やそのコメントに自然に目が行く様になり、じわじわと強くなる思いは2年もすると、気が付いたら「人」としてとても好きになっていました。明示して「好きだ!」とか「応援しています!」とかそういうものではなく、もっと静かに、自然に、でも強く深くその気持ちは膨らんで行きました。
 能登さんの言葉や考え方は、強く共感するものがあります。恥ずかしながら、自分にとっての理想の女性像、と言えるものかもしれません。そして、幅広い数々の演技に心動かされ、沢山のものを頂いていると思います。こういう役者さんに出会えたことを素直に喜びたいです。そして、自分に出来る精一杯のエールを送り続けて行きたいです。
(2006.02.06記述)



 以下は、現在、能動的に応援しなくなった(静観)している人です。別表として残しておきます。


近影・御尊名 応援開始 応援する様になったきっかけ〜静観まで
林原めぐみさん近影
林原めぐみさん
1994年1月頃

= 関連記述 =
1999.06.19感想
1999.11.10感想
2000.04.02感想
2001.12.22感想
2002.01.27感想
 「林原めぐみ」という名前は、当時全くアニメを観ていない私でも、アニメに詳しい友人から良く聞かされていたので知っていました。何やら凄い人気らしく、とても元気な方だというのです。その時、どんな方なのか全く知らなかった私は、「ふぅん」くらいにしか思っていませんでした。その時、たまたま雑誌に載っていたお写真を拝見しましたが、そこからは「何故この人が人気あるんだろう?」としか思えませんでした。
 当時、週間少年ジャンプを読んでいた私は、連載中の漫画の中で「燃える!お兄さん」という漫画が好きでした。それがアニメ化されるということで、ご多聞に漏れず観ていたのですが、その中に出てくる「かえで」という元気な女の子の声を当てていたのが「林原めぐみ」その人でした。その他にも、「ガンダム」関連だけはしっかりチェックしていたので、OVA「機動戦士ガンダム0080 -ポケットの中の戦争-」のヒロインである「クリス」の声を当てている事も知りました。 でも、その時は名前と顔が一致するくらいで、「ファンになる」なんて考えてもみませんでした。
 それから数年が経ち、唯一観ていたアニメーションである「世界名作劇場」が20周年ということで、原作の無いオリジナル作品が制作されることになりました。その作品である「七つの海のティコ」の主役「ナナミ」の声を当てていたのは、何と林原めぐみさんだったのです。ずっと気にも留めていなかった筈の彼女の名前を、再び認識する事になった瞬間でした。
 「七つの海のティコ」という作品は、私の中に色々なものを残してくれました。その中には勿論、林原めぐみさんに対しての気持ちの大きさもありました。その頃、もう1つ私の中に色々なものを残す作品「ブルーシード」とも出会い、ゲームにおいても名作「ルナ -ETERNAL BLUE-」の「レミーナ」に出会い、「声優・林原めぐみ」その人をもっと知りたくなっている自分がそこに居ました。
 林原めぐみさんの活動を色々調べているうちに、ラジオ番組を持っている事が分かり、早速その番組を聞いてみることにしたのですが、久し振りにラジオ番組を聞いた事も手伝ってか、非常に楽しく新鮮な気持ちで聞く事が出来、毎週チューニングする様になりました。毎週聞いているうちに、林原めぐみさんの考え方や性格が少しずつ分かる様になり、「人」として林原めぐみさんに惹かれて行きました。この頃に初めて「自分はめぐみさんのファンになった」という自覚を持ちました。
 それから今の今までずっとファンを続けているのですが、その間にめぐみさんから数多くの事を学びました。これは、今の自分に多大な影響を与えていると感じています。それは悪い意味ではなく、本当に感謝している事です。これからも色々教わる事もあるとは思いますが、それらを自分なりに消化しつつ、そこから得たものを何かしらの形で残して行けたらなぁと思います。これからも、ずっと応援して行きます。
(1999.02.01記述)
 最近、すっかり離れた感のあるめぐみさん。でも、昔の作品を観たり、ラジオを極々たまにですが聞いてみて感じる気持ちは、やはり私の中で変わっていないことに気付きます。最新アルバム「feel well」では「シンシア 〜愛する人〜 (Dear つばめ Version)」で、久し振りに目頭を熱くさせられました(「おやすみなさい明日はおはよう」以来だと思います。すると、4年半振り(汗))。やはり、何処かで喩えた通り、めぐみさんは"ごはん"なんだなぁと思う今日この頃です(笑)。
(2002.09.03記述)
 ご結婚されてからか、フリーになられてからか、ラジオ以外のご活躍を殆ど目にしなくなってしまってからというもの、どんどん疎遠になって現在に至ります。もっと作品の中での演技で出会いたかった為に、現在では「応援」という気持ちは殆んど無くなってしまいました。それでも応援していた時に得たものは、今でも色々なものに役立っていると思っています。
(2006.11.10記述)
堀江由衣さん近影
堀江由衣さん
1998年10月頃

= 関連記述 =
1999.03.31感想
 「なかなか素敵な娘さんだなぁ」。それが初めて「堀江由衣」という名前と姿を知った時の印象でした。でも、その時はそれで終わりだったのですが、後々こういう気持ちを抱くなんて夢にも思いませんでした。それが、結構気に入っていた「鉄コミュニケイション」という作品のアニメ化に伴い、私の中で徐々に大きくなっていたものだと気付くのには、それからそんなに時間がかかりませんでした。
 「鉄コミュニケイション」の主役である「ハルカ」の声を当てている人こそ「堀江由衣」その人であり、主題歌を歌っているのも彼女自身でした。放映第1話を観て、その主題歌(OP/ED共に)と原作のハルカのイメージを損なわない声が大変気に入った私は、「堀江由衣」という名前を気に留める事になったのです。
 ちょっとして、雑誌のインタビュー記事に堀江由衣さんの名前を発見し、その掲載されていた内容とお写真で「この娘さん、何か惹かれるものがある!」と思い、色々雑誌のバックナンバー等を見ていくうちにどんどん惹かれて行く自分が居ました。そして、先に述べた「鉄コミュニケイション」のテーマソングの発売日が到来し、その発売記念でトークショウが開催される事を知り、足を運ぶことに決めました。
 直に見る堀江由衣さんは、とっても小さな方でしたが、元気で可愛らしくて、とても素直な好感の持てる女性でした。そのイベントでは、堀江由衣さんのトークや歌を聞き、最後にはサインを手渡しされ、お話しする事も出来たという、私にとって堀江由衣さんの色々な面を見れた有意義な時間でした。そこで出た結論が「このまだまだ駆け出しの声優さん、応援しちゃおう!」でした(笑)。
 その最大のきっかけとなったのは、歌っていた時の表情でした。とっても緊張していたその表情は、私の中で本当に印象深い表情でした。その時、掻き集めた雑誌のインタビュー記事に書かれていた彼女の言葉が頭を過ぎり、「良い声優さんになって欲しい。一時の人気に左右されることのない、本物の声優”堀江由衣”に」と思いました。そう思わせる魅力が彼女の中にはあると思います。
 色々な仕事が増え、活躍の場を広げている堀江由衣さん。今まで以上に大変なこともあるかと思いますが、それらを乗り越えて良い仕事をして行って欲しいです。私なりに見守って行きたいと思っています。
(1999.02.01記述)
 今では能動的に追い掛けるのを止めてしまっていますが、多方面で色々ご活躍されているのを見ると、本気で応援していた頃を懐かしく思います。この先、気にしている作品に偶然出ていて、「おぉっ」と思わせる役や演技に出会えたら、私はそれだけで嬉しいです。陰ながら見守らせて頂きたいと思っています。
(2001.09.03記述)
 今でも第一線でご活躍ではありますが、どうしても自分が望むタイプの路線ではない作品でしかそのお名前を拝見出来ていないのは残念です。このまま、同様のタイプの作品だけが活躍の中心にならないことを祈ります。誰もが「これだ!」と思える役に出会って欲しいですね。
(2006.11.10記述)
川澄歌織さん近影
川澄歌織さん
1999年夏頃

= 関連記述 =
1999.07.25感想
1999.11.07感想
2000.04.01感想
2001.09.23感想
2002.06.29感想
2003.04.13感想
2003.05.15感想
2005.07.30感想
 忘れもしない1999年7月25日。「もしかして岩垂ファンの人?」、それが初めての川澄歌織さんとの出会いでした。厳密に言えば、岩垂さんのサイン会があった1998年2月に会場でご紹介頂いているのですが、その時は「あ、アレントのコーラスの人なんだ」くらいの認識で終わっていました。直に会話をした訳ではないので、当たり前と言えば当たり前かもしれませんね。それでも、しっかりとその時の事は覚えているので、今にして思えばそこから運命の歯車は回り始めていたのかもしれません。
 初めて川澄さんと出会ったその日は、川澄歌織さん御自身のライブでした。しかし、目当ては川澄さんの歌よりも、バックで演奏を担当する岩垂さんという、今にして見ればかなり不純な動機で足を運んだそのライブではありましたが、結果的にそれが川澄歌織さんとの出会いを生むきっかけとなった訳です。岩垂さんがライブに出て下さった事に感謝しなければなりません(笑)。
 認識を持って初めてお会いした川澄さんの印象は「素敵な女性だなぁ」でした。そういった雰囲気だけではなく、実際にライブが始まってからも、川澄さんの歌は詩と曲と歌声が相俟ってとても印象深く、非常に惹かれるものがありました。更には、直に川澄さんとお話しする機会もあり、その人柄は勿論のこと、仕事に対しての取り組み方等も含めて「このお姉さん、とっても好きだ!」という結論が出せるくらいに、私の中にその存在を刻みました。
 その後に行われた1999年11月7日のライブにも参加し、私の中の「応援しよう!」という気持ちはより強固なり、「川澄さんの活躍をずっと支えて行きたい!」と強く思うようになりました。やはり、実際にお話しする機会があり、その方の色々な面が見えてくると、どんどん惹かれて行くんだなぁというのを改めて感じました。
 これからも派手さはなくても、「川澄さんらしさ」を失うこと無く、大人も子供も聴き手となるみんながみんな何かを感じられる歌を届けて行って欲しいです。私もその活動を真面目にずっと応援して行きます!
(2000.01.01記述)
 初めてお会いしてから、行けるライブやファンクラブの集まり(忘年会等)には足を運ぶ様になった為か、普通にお話する機会もあったりするのは大変光栄なことです。中々美声を聴かせて頂く機会がないのは寂しいですが、1曲1曲を大切に、今後も着実に歩んで欲しいなぁと思っています。勿論、その為の応援(努力)なら惜しみません!
(2002.09.03記述)
 ご結婚されてからは何の音沙汰もなくなってしまっておりますが、お元気でいらっしゃるでしょうか。内輪へ向けたタイプのライブだけではなく、もっと色々な形でのチャレンジが見られる日を楽しみにしています。色々大変かと思いますが、陰ながら見守っていたいと思います。
(2006.11.10記述)
牧野由依さん近影
牧野由依さん
2006年春頃

= 関連記述 =
2006.12.24感想
2007.04.01感想
2007.11.30感想
2007.12.24感想
2008.03.23感想
2009.12.02感想
 「創聖のアクエリオン」という作品のエンディングで初めてその歌声を知り、「ツバサ・クロニクル」のサクラ役や「ARIA The ANIMATION」のオープニングなど立て続けにそのお名前を見る様にはなったものの、特に気に留めることはありませんでした。
 「ARIA The NATURAL」が始まり、そのオープニングを牧野さんが担当されることになることは当然だろうと思っていたのですが、その「ユーフォリア」という歌とそのプロモーションビデオ映像は、自分の中でもかなり印象に残りました。その時から、ちょっと気にする様になりました。中でも「ARIA」関連の歌は、これまで聴いていた歌もより好きになり、牧野さんの歌を好んで聴く様になっていました。 気が付けばファンクラブが発足していて、これまでの積み重ねが入会の後押しになり、晴れて応援を形にする様になりました。その若い才能を、どんどん開花させていって欲しいなと思います。人としても可愛らしい人だな、と感じています。
(2006.11.10記述)
 折角入ったファンクラブも、運営側の都合で2008年4月末日で突然クローズすることになりました。その後、Yahoo!ファンクラブにて再開するものの、最初のFCである「ゆいくれ」の様なアットホームさは無く、何だか中途半端なアイドルっぽさ漂うFCに馴染めなくて無料期間をもって退会。その後は、特に情報を集めていない為か距離を置いてしまっている状況にあります。
 別に牧野さんが嫌いになったり飽きた訳ではないのですが、FCから情報が与えられる訳でも無く、音楽活動も割と控えめになってしまった昨今、声優ではなく、どちらかと言えば歌手としての牧野さんが好きな私自身が牧野さんとの距離感を掴めずに居ることが静観している原因なので、また何かのきっかけがあるまではこのままで居ようかな…と思っています。これからもそのご活躍を楽しみにしています。
(2009.04.01記述)

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